20210717 多摩地区表象文化論・动画批評研究会 (令和3年)第一回研究会 「フィクション(作品)と政治 --『羅小黒戦記』を起点に」

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きたる2020/07/17(Sat) 19:00-22:00、下記要領にて、辻田 真佐憲氏(@reichsneet)渡邉大輔氏(@diesuke_w)てらまっと氏(@teramat)をおよびし、掲題の研究会を開催いたします。
 
zoom使用のためセミクローズド方式・半顕名とはなりますが、出入り自由・無料ですので、奮ってご参加ください。
 ※ 足元の感染状況に鑑み、オンライン開催のみとなります。zoomのURLは下記のとおりです。
 ミーティングID: 845 9245 0479
 https://u-tokyo-ac-jp.zoom.us/j/84592450479
 ※ 入室用パスコードは登録者にのみ、peatix登録時に入力いただきましたメールにてお知らせいたします。
  (7/15)メールにてお知らせいたしました。←new!
 ※ 後日のYoutubeLiveなどでの再配信はございません。
 ※ 資料について:資料は別途、講演者ごとの方針に従い、配布・画面共有いたします。
 
[開催要領]
 
1、企画趣旨:

 映画『羅小黒戦記』をめぐっては、2020年の日本語吹き替え版が公開され、その洗練された表現技法・アニメーション技術が高く評価されたことは、多くの人の記憶に新しいだろう。ただし、上映後「良質のエンターテインメントか、体制のプロパガンダか」という問題提起がなされたことは、もしかしたらそこまで多くの人が認識しているとも限らず、また多くの人の頭から抜け落ちているかもしれない。今回の企画で探求するのは、今回、登壇者の一人であるてらまっと氏が提起したこの問い(そのものではないが。)を起点とした「政治とフィクション」に関するいくつかの問題群である。
 もちろん、映画『羅小黒戦記』文字通りの意味では国策としてのプロパガンダではない。政治的意図もなければ組織性も欠く。例えば、今回の登壇者の一人である辻田氏による定義、すなわち「政治的な意図にもとづき、相手の思考や行動に、しばしば相手の意向を尊重せずに影響を与えようとする、組織的な宣伝活動」という定義からは外れていよう。しかし本作において、(アニメーション研究者・田中大裕氏によるtweetの語彙から拝借するならば)中国映画産業における体制迎合的エコノミーの可能性を読み取りうるとすればどうか?そしてこの読み方は、『羅小黒戦記』という作品ユニットの持つ芸術的ー政治的価値(その関係)にどのように関わるのだろうか?

 (1) 正道ならざる「プロパガンダ的なるもの」とフィクション作品を取り巻く環境
 この点にかんし、辻田氏の主張する「たのしいプロパガンダ」、あるいは『新プロパガンダ論』において繰り返し問題となっている「下からの便乗」=民製プロパガンダの諸例や各種広告宣伝(コラボ)との比較、「かわいい」的感性についての議論は、大いに参考になるだろう。すなわち、情報の受け手にとって好ましく受容されたことそのものへの対抗言論や(より広く)競争環境の構築は、どのようになされうるか? 辻田氏のいう事前対策としてのプロパガンダ論の「ワクチン」的な機能・射程は、前記の体制迎合的エコノミーにどのように関わるのだろうか? これらの問いが、決して「正道」のプロパガンダとは言い難いものの、周辺的でありながら「ゆるく」作品を枠づける「プロパガンダ的なるもの」の領域を形作るように思われる。(元のてらまっと氏「良質のエンターテインメントか、体制のプロパガンダか」の問題提起もまた、もとをたどればこのようなものであった。)
 さて、これらの問いは、本邦のフィクション作品の制作・受容プロセスについても跳ね返るだろう。具体的には、特に本邦の深夜アニメの商業的な広がりや、渡邉氏が名指したポストシネマ時代における表現ー技術のアニメーションにおける多層的な試み、さらにはそれら(内容上の反社会的なものも含むもの)の社会的な受容スタイルや、てらまっと氏の指摘する視聴者共同体の倫理的な変容の広がりにも跳ね返る問いであるだけに、目下問われるべきものである。

 (2) プロパガンダの歴史的側面と、現下における諸課題
 そもそもこうした受容と供給の過程で増幅される暴力=エコノミーを分析するにあたり、「戦前」における文化と国家の関係、あるいは「国際化」の態様についての歴史的検討を抜きにすますことはできない。この点で、渡邉氏の戦前〜戦中〜占領下〜戦後期にまたがる映画教育・「国策」映画・映画国際化研究と、辻田氏戦時歌謡研究や「空気」を読ませる手法を多用した戦前の検閲に関する研究とをともに参照することができる場を持つことは有益であろう。辻田氏の近著『超空気支配社会』(2021)への参照も、この点から求められるはずである。
 翻って、現実の本邦の状況においてもこの検討は示唆を持つはずである。COVID19下において、法に服する主体の権力作用を表立っては欠いた形で様々な準ー法的権力作用が生まれては消えたことは記憶に新しい。集団のなかでフィクショナルに構成されたリスク感覚に基づく「自粛"要請"」や「協力」が横行する中、上記のフィクション(作品)と政治の関係を問うことは、フィクションを介した想像力の意義と限界を知る上で避けて通れない。

 (3) その他
 最後に、フィクションと政治という範疇で言えば、古くは政治的な罪(アウシュヴィッツ)と技術(産業・工場)との差異を素通りしたハイデガーの技術論を思い起こさずにはいられない。そのハイデガーを論じたPh. ラクー・ラバルト『政治という虚構』(1988)、当該テキストへのジャック・デリダの応答、さらには近時の東浩紀「悪の愚かさについて」(2019/2020)にもこれらの問いは通じている。

 折しも来たる7/9に『羅小黒戦記』のBlu-rayが発売となる。この時期にあわせ、上記広範な射程に属する問題群を一連の問いとして取り扱うべく、今回の講演・座談会を企画した。


2、開催時期:

 2021年7月17日(土) 19:00-22:00  


3、開催場所・開催方法:


(1)場所・方法:遠隔(zoom)および現地(東京大学)併用開催
 (※ただし、現地については施設利用制限が解かれた場合のみ))

(2)実施手順
 論点提起・講演(60-90分程度)
 ・てらまっと氏(@teramat)「婚約指輪を外す 『リズと青い鳥』に見るフィクションの政治性」
 ・辻田 真佐憲氏(@reichsneet)「21世紀の政治と文化を語るために」
 ・渡邉大輔氏(@diesuke_w) 「アニメーション表現とプロパガンダ― 「原形質性」をめぐって―」
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 座談会・質疑(60-90分程度)

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以上